山梨の旅・・・(完結編) [車の旅]
お久しぶりでございます。
今まで、全然ネットに接続できませんでした。今も不安定です。
古いPCですし、環境も良くないので仕方ありません。まあ、ノンビリ更新していきたいと思います。
さて、前回の続きです・・・(前回を覚えている人、あんまりいないと思いますけど・・)
武田神社を拝観したあと、神社入り口にある「かぶとや」というお土産屋さんによりました。
このお店、あんまり広くはなかったですけど、オリジナル商品が結構充実しています。
信玄公に関するグッズを、色々買ってしまいました。
まずは「風林火山」の晩酌セットです。
立派な割には安かった。たしか1500円ぐらい。
次が「風林火山」の扇子
1000円ぐらい。紙ではなく布製です。結構丈夫そうです。
最後が「風林火山」の携帯ストラップです。
あんまり写りが良くないですけど、孫子のお言葉が彫られています。
以上、このお店、戦国マニアには結構興味深い品々を販売しております。
武田神社にお立ち寄りの際には、是非お立ち寄りください。
(・・といっても、他にお店は見当たりませんでしたが・・)
帰路に着く前に、やっぱり温泉によることにしました。
最初に行こうと思ったのは「旅館 深雪温泉」です。
このお店、とにかくお湯が豊富みたいです。
是非行ってみたかったのですが、電話してみたところ、日帰り入湯は午後3時までとのことで、間に合わず!
仕方がないので、前にお話した山梨県立美術館に割引券が置いてありました「湯村ホテル」の温泉に行ってみることにしました。
このホテル、結構新しくて綺麗でした。また、お風呂はそれほど広くなかったですけど、お湯が良かった。
源泉かけ流しとのことです。
午後3時過ぎに行きましたので、お風呂はガラガラ、貸切状態でした。
旅の最後に、なかなか良い温泉に当たりました。
甲府はいいところです。
それでは、以上を持ちまして「山梨の旅」は完結いたします。
今まで、全然ネットに接続できませんでした。今も不安定です。
古いPCですし、環境も良くないので仕方ありません。まあ、ノンビリ更新していきたいと思います。
さて、前回の続きです・・・(前回を覚えている人、あんまりいないと思いますけど・・)
武田神社を拝観したあと、神社入り口にある「かぶとや」というお土産屋さんによりました。
このお店、あんまり広くはなかったですけど、オリジナル商品が結構充実しています。
信玄公に関するグッズを、色々買ってしまいました。
まずは「風林火山」の晩酌セットです。
立派な割には安かった。たしか1500円ぐらい。
次が「風林火山」の扇子
1000円ぐらい。紙ではなく布製です。結構丈夫そうです。
最後が「風林火山」の携帯ストラップです。
あんまり写りが良くないですけど、孫子のお言葉が彫られています。
以上、このお店、戦国マニアには結構興味深い品々を販売しております。
武田神社にお立ち寄りの際には、是非お立ち寄りください。
(・・といっても、他にお店は見当たりませんでしたが・・)
帰路に着く前に、やっぱり温泉によることにしました。
最初に行こうと思ったのは「旅館 深雪温泉」です。
このお店、とにかくお湯が豊富みたいです。
是非行ってみたかったのですが、電話してみたところ、日帰り入湯は午後3時までとのことで、間に合わず!
仕方がないので、前にお話した山梨県立美術館に割引券が置いてありました「湯村ホテル」の温泉に行ってみることにしました。
このホテル、結構新しくて綺麗でした。また、お風呂はそれほど広くなかったですけど、お湯が良かった。
源泉かけ流しとのことです。
午後3時過ぎに行きましたので、お風呂はガラガラ、貸切状態でした。
旅の最後に、なかなか良い温泉に当たりました。
甲府はいいところです。
それでは、以上を持ちまして「山梨の旅」は完結いたします。
山梨県の旅・・・(その4) [車の旅]
前回の続きです。(美術館に関してはネタ切れのため、タイトルも微妙に変えてみました。)
さて、山梨県立美術館でミレーの絵をみたあとは、近くにある「武田神社」に行ってみることにしました。
武田神社は、戦国武将「武田信玄」公を祭っている神社です。
信玄公が生前暮らしていた、そして軍事拠点でもあった「躑躅ヶ崎館」跡に建っています。
大正4年、大正天皇が即位したとき、亡き信玄公に「従三位追贈」が贈られたそうです。
これを契機に、官民一体となった「武田神社建立プロジェクト」が発動されたようで、大正8年には社殿が竣工したそうです。
実際行ってみて、その大きさに驚きました。そして手入れも行き届いていて、とても綺麗でした。
そして、社殿は立派です。
大勢のお客さんで賑わっています。
神社の隣には「宝物殿」があり、武田家ゆかりの品々が展示されていました。
この宝物殿の目玉は、三條家より寄進された「吉岡一文字」の太刀とのことです。
国の重要文化財に指定されています。
この太刀は、明治天皇の山梨県行幸啓の際、随行の三條實美太政大臣から奉納さ
れたそうです。
信玄公の正室が三條家から嫁いでいたので、その縁からだそうです。
名家というものは、何百年たっても昔の繋がりを大事にするみたいですね。
このほか、宝物殿には、たくさんの品々が展示されてていました。
七星軍扇(信玄公が使ったものだそうです。)
武田二十四将図(江戸時代中期の作品)
期間限定で「孫子の旗(風林火山の旗)も展示されていました。
(注:写真は実物と違います。実物はもっと本当に古びていました。)
おもしろそうなので、こんな本も買ってしまいました。
武田神社の収蔵品
■発行年:平成10年4月12日 ■金額:1,000円 ■仕様:A4カラー48頁、モノクロ33頁
読んでいると、戦国時代最強を誇った信玄軍団の勇姿が目に浮かんできます。
(その5に続く・・・)
さて、山梨県立美術館でミレーの絵をみたあとは、近くにある「武田神社」に行ってみることにしました。
武田神社は、戦国武将「武田信玄」公を祭っている神社です。
信玄公が生前暮らしていた、そして軍事拠点でもあった「躑躅ヶ崎館」跡に建っています。
大正4年、大正天皇が即位したとき、亡き信玄公に「従三位追贈」が贈られたそうです。
これを契機に、官民一体となった「武田神社建立プロジェクト」が発動されたようで、大正8年には社殿が竣工したそうです。
実際行ってみて、その大きさに驚きました。そして手入れも行き届いていて、とても綺麗でした。
そして、社殿は立派です。
大勢のお客さんで賑わっています。
神社の隣には「宝物殿」があり、武田家ゆかりの品々が展示されていました。
この宝物殿の目玉は、三條家より寄進された「吉岡一文字」の太刀とのことです。
国の重要文化財に指定されています。
この太刀は、明治天皇の山梨県行幸啓の際、随行の三條實美太政大臣から奉納さ
れたそうです。
信玄公の正室が三條家から嫁いでいたので、その縁からだそうです。
名家というものは、何百年たっても昔の繋がりを大事にするみたいですね。
このほか、宝物殿には、たくさんの品々が展示されてていました。
七星軍扇(信玄公が使ったものだそうです。)
武田二十四将図(江戸時代中期の作品)
期間限定で「孫子の旗(風林火山の旗)も展示されていました。
(注:写真は実物と違います。実物はもっと本当に古びていました。)
おもしろそうなので、こんな本も買ってしまいました。
武田神社の収蔵品
■発行年:平成10年4月12日 ■金額:1,000円 ■仕様:A4カラー48頁、モノクロ33頁
読んでいると、戦国時代最強を誇った信玄軍団の勇姿が目に浮かんできます。
(その5に続く・・・)
山梨県立美術館etc・・・(その3) [車の旅]
前回の続きです。
「ジャン・フランソワ・ミレー」は19世紀にフランスで活躍した画家です。「種をまく人」や「落ち穂拾い」など、農民の働く姿を描いた農民画家として有名です。
山梨県立美術館は、ミレーの作品を70点ほど所蔵する、世界的に有名な「ミレーの美術館」だそうです。地方の美術館としては、なかなか個性的だと思います。
さて、お目当てのミレー館は、美術館の2階にありました。中に入ると、まず2つの絵に迎えられます。「ポーリーヌ・V・オノの肖像」と「眠れるお針子」です。モデルのお二人とも、ミレーの奥さんだった方々です。
最初の奥さんが「ポーリーヌ・V・オノの肖像」のボリーヌさん。
ポーリーヌ・V・オノの肖像
この方は、結婚後数年で肺結核のため亡くなってしまったそうです。
ボーリーヌさんのポーズが「モナリザ」にそっくりです。
この頃、ミレーは美術学校に通い、肖像画を描いて生計をたてていたそうです。
愛妻を描くにあたって、有名なモナリザの姿が頭をよぎったのかもしれません。
二番目の奥さんは「眠れるお針子」のカトリーヌ・ルメールさん。
眠れるお針子
この方とは終生連れ添ったそうです。「眠れるお針子」は、去年、アメリカの個人収集家から競り落とし、美術館が購入したばかりの作品です。ミレー館で、世界で初めて一般公開されることになったそうです。
この絵が書かれたころは、ミレーは非常に貧乏な生活を送っていました。カトリーヌさんは、家計を助けるため内職をしていたのでしょう。仕事の最中に、ついうたた寝をしてしまったようです。
さて、ミレー館の冒頭に、この2枚の絵が並べてかざられているのには、訳があります。
説明文によると、この2枚の絵を見比べると、ミレーの作風、そしてその背後に隠されたミレーの心情が読みとれるそうです。
たしかによく見ると、2枚の絵から受ける印象が微妙に違うことに気がつきます。
「ポーリーヌ・V・オノの肖像」からは、非常に写実的な印象を受けます。画家を真っ直ぐに見つめる、少し緊張感をたたえたポーリーヌの瞳。
ここではミレーは、あくまでも「自分の目に映った美」を忠実に表現している気がします。
しかし「眠れるお針子」からは、こうした写実的な印象はあまり感じません。さきほどの絵と違い、「目に見えない美」の方を重視している気がします。
家族のために内職をし、疲れて寝てしまった妻カトリーヌの姿に、ミレーは愛情を感じるとともに、「美しさ」も見出したのではないでしょうか。
このあとミレーは、農村で働く人々の姿を描き始めました。もしかもするとミレーは、こうした真摯に働く人々の姿の中に、疲れて寝てしまったカトリーヌに見出したような「美しさ」を感じ取ったのかもしれません。
最初の奥さんを亡くしてから、ミレーの心の中で、何かが変わったのかもしれません。
この他、興味深い絵をいくつかご紹介しますと、まず「無原罪の聖母」
無原罪の聖母
あのマリア様を描いたそうですけど、がっしりした足とちょっとゴツい体。
そして、よく見ると顔が農民のようです。
そして有名な「落ち穂拾い」
落ち穂拾い
そしてこれは「落ち穂拾い(夏)」です。
落ち穂拾い(夏)
構図が同じです。ミレーは、実は同じ構図で「落ち穂拾い」を何枚も書いたようです。
<その4に続く>
「ジャン・フランソワ・ミレー」は19世紀にフランスで活躍した画家です。「種をまく人」や「落ち穂拾い」など、農民の働く姿を描いた農民画家として有名です。
山梨県立美術館は、ミレーの作品を70点ほど所蔵する、世界的に有名な「ミレーの美術館」だそうです。地方の美術館としては、なかなか個性的だと思います。
さて、お目当てのミレー館は、美術館の2階にありました。中に入ると、まず2つの絵に迎えられます。「ポーリーヌ・V・オノの肖像」と「眠れるお針子」です。モデルのお二人とも、ミレーの奥さんだった方々です。
最初の奥さんが「ポーリーヌ・V・オノの肖像」のボリーヌさん。
ポーリーヌ・V・オノの肖像
この方は、結婚後数年で肺結核のため亡くなってしまったそうです。
ボーリーヌさんのポーズが「モナリザ」にそっくりです。
この頃、ミレーは美術学校に通い、肖像画を描いて生計をたてていたそうです。
愛妻を描くにあたって、有名なモナリザの姿が頭をよぎったのかもしれません。
二番目の奥さんは「眠れるお針子」のカトリーヌ・ルメールさん。
眠れるお針子
この方とは終生連れ添ったそうです。「眠れるお針子」は、去年、アメリカの個人収集家から競り落とし、美術館が購入したばかりの作品です。ミレー館で、世界で初めて一般公開されることになったそうです。
この絵が書かれたころは、ミレーは非常に貧乏な生活を送っていました。カトリーヌさんは、家計を助けるため内職をしていたのでしょう。仕事の最中に、ついうたた寝をしてしまったようです。
さて、ミレー館の冒頭に、この2枚の絵が並べてかざられているのには、訳があります。
説明文によると、この2枚の絵を見比べると、ミレーの作風、そしてその背後に隠されたミレーの心情が読みとれるそうです。
たしかによく見ると、2枚の絵から受ける印象が微妙に違うことに気がつきます。
「ポーリーヌ・V・オノの肖像」からは、非常に写実的な印象を受けます。画家を真っ直ぐに見つめる、少し緊張感をたたえたポーリーヌの瞳。
ここではミレーは、あくまでも「自分の目に映った美」を忠実に表現している気がします。
しかし「眠れるお針子」からは、こうした写実的な印象はあまり感じません。さきほどの絵と違い、「目に見えない美」の方を重視している気がします。
家族のために内職をし、疲れて寝てしまった妻カトリーヌの姿に、ミレーは愛情を感じるとともに、「美しさ」も見出したのではないでしょうか。
このあとミレーは、農村で働く人々の姿を描き始めました。もしかもするとミレーは、こうした真摯に働く人々の姿の中に、疲れて寝てしまったカトリーヌに見出したような「美しさ」を感じ取ったのかもしれません。
最初の奥さんを亡くしてから、ミレーの心の中で、何かが変わったのかもしれません。
この他、興味深い絵をいくつかご紹介しますと、まず「無原罪の聖母」
無原罪の聖母
あのマリア様を描いたそうですけど、がっしりした足とちょっとゴツい体。
そして、よく見ると顔が農民のようです。
そして有名な「落ち穂拾い」
落ち穂拾い
そしてこれは「落ち穂拾い(夏)」です。
落ち穂拾い(夏)
構図が同じです。ミレーは、実は同じ構図で「落ち穂拾い」を何枚も書いたようです。
<その4に続く>